東京地方裁判所 昭和42年(ワ)4878号 判決 1973年4月16日
原告 砂田恵一
被告 小川弥太郎
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者双方の申立
(原告)
「被告は原告に対し、金七〇一万一、〇〇四円およびこれに対する昭和四二年五月二〇日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決ならびに仮執行の宣言。
(被告)
主文と同旨の判決。
第二請求原因
一 売買契約の締結
原告は、昭和二三年八月頃、被告から当時被告が所有していた別紙目録一記載の建物(以下本件建物という)およびその敷地(同目録二記載の土地、以下本件土地という)の借地権(その賃貸人は所有者である訴外広田庄次、以下本件賃借権という)を代金三〇万円で買受け、その頃本件土地建物の引渡を受け、昭和二八年五月一日、本件建物につき所有権移転登記手続を経由した。
二 承諾取付義務の履行不能
被告は土地賃借権の売主であるから、本件土地の譲渡につき所有者広田の承諾を求める義務がある。しかるに、被告が広田から本件賃借権の譲渡につき承諾を得ないでいるうちに、広田は昭和三三年五月二三日原告を相手方として、東京地方裁判所に対し、土地の不法占拠を理由として本件建物の収去と本件土地の明渡を求める訴を提起し(昭和三三年(ワ)第三九二二号)、右一審において請求棄却の判決を受けたが、その控訴審(東京高等裁判所昭和三五年(ネ)第二六〇号事件)において請求認容の判決を得、さらに上告審(昭和三九年(オ)第三〇五号)において昭和四〇年六月四日、上告人である原告が上告棄却の判決を受けた。
したがつて、被告の前記承諾取付債務は前記訴訟が原告の敗訴に確定した昭和四〇年六月四日に履行不能となつた。
三 原告の損害
(一) 原告は、被告の右履行不能により、本件土地の賃借権の譲受を地主である広田に対し対抗し得ず、同人に対し、本件建物ならびに本件売買契約後本件土地上に増築した木造瓦、トタン交葺二階建居宅一棟、一階九三・八八平方米(二八坪四合)、二階三八・〇一平方米(一一坪五合)(以下増築建物という)を収去して、本件土地の明渡しを余儀なくされた結果右賃借権および右建物の価額相当の損害を蒙つた。
右損害額の算定にあたつては、本件建物、増築建物、本件土地の賃借権の本件口頭弁論終結時もしくは少くとも前記履行不能が確定した昭和四〇年六月四日の時点における時価を基準とすべきところ、昭和四二年六月二八日現在、本件土地の賃借権価額は少くとも七一四万五、〇〇〇円、本件建物の価額は二三九万八、八八〇円、増築建物の価額は四六万七、一二四円である(合計一、〇〇一万一、〇〇四円)。
(二) ところで原告は、前記上告判決の後広田を相手方として借地法一〇条に基く建物買取代金請求事件を提起し、その控訴審(東京高等裁判所昭和四三年(ネ)第一、三六一号、一三七〇号)において昭和四五年五月七日、原告が広田に本件建物および増築建物を代金三一七万五、〇〇〇円で売渡すこと、その他の条件による裁判上の和解が成立し、同年一〇月七日原告は広田から右代金の支払を受けた。
(三) したがつて、被告の履行不能による原告の損害額は、前記(一)に記載の金額の合計金一、〇〇一万一、〇〇四円から右買取代金三一七万五、〇〇〇円を控除した金六八三万六、〇〇四円ということになる。
四 損害に関する予備的主張
かりに前項記載の損害が認められないとしても、原告は被告の履行不能により左記(一)、(二)のいずれかの損害を蒙つた。
(一) 新たな土地の賃借権設定料、家屋移転費用金六六八万八、六六七円
原告が本件土地と同等の土地賃借権を取得して本件家屋を移転するためには、少くとも左記出捐を要する。
(1) 新たな借地権契約に要する権利金六〇二万八、〇〇〇円本件土地の近隣における、昭和四二年六月二八日現在の、期間を六〇年とする借地権価額は、三・三平方米あたり金六万八、五〇〇円を下らない。そこで右単価に本件土地の面積八八(坪)を乗ずると、金六〇二万八、〇〇〇円となる。
(2) 本件建物の移転費用金二六七万円
本件建物、増築建物を近隣土地に移転するには、少くとも三・三平方米あたり金三万円を要する。そこで、右金員に本件建物の床面積一六三・六二平方米(四九坪五合)と増築建物の床面積一三一・八九平方米(三九坪五合)とを合算した八九(坪)を乗ずると、金二六七万円となる。
(3) 被告が本件賃借権の譲渡につき広田の承諾を得ていたならば、原告は、本件土地を、本件建物の残存期間である今後四〇年間は賃借できたはずである。ところで、前記(1) の費用六〇二万八、〇〇〇円は、期間を六〇年とする借地権の対価であるから、原告は、新たな借地権設定により、余分に借りられる期間二〇年分の費用に相当する二〇〇万九、三三三円を利得することになる。
(4) したがつて、右(1) (2) の費用合計金八六九万八、〇〇〇円から右利得分二〇〇万九、三三三円を控除した金六六八万八、六六七円が原告の蒙つた損害である。
(二) 逸失利益 金三〇〇万円
(1) 原告は、本件建物を、その買受け以前から被告より賃借して内科・小児科医院を営んでおり、本件建物買受の目的も終生そこで右医院を営むことにあつたもので、このような事情は本件売買契約当時被告も熟知していた。
(2) 原告の平均年間純収入額は一五〇万円のところ、被告の履行不能により本件建物での営業は不可能となつた。
ところで原告が場所を移転して開業するとしたならば、従来の患者を失うために、原告は、今後五年間に五〇パーセントの収入減が予想される。そこで五年間分の減収額につきホフマン式計算方法により中間利息を控除して現価を求めると三〇〇万円以上の額となる。
五 かりに、本件売買に基く被告の責任が債務不履行ではなく、売主の担保責任によつて律せられるとしても、被告は本件売買契約当時賃借権譲渡につき広田の承諾を得られないことを知つていたか、あるいはこれを知らないことにつき過失があつた。したがつて、このような場合には、原告は担保責任に基づき履行利益まで請求できる。
六 よつて原告は被告に対し、債務不履行に基づき、仮りにしからずとするも売主の担保責任に基づき、右損害金七〇一万一、〇〇四円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四二年五月二〇日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三請求原因に対する答弁
請求原因第一項中原告が、その主張の頃被告から当時被告の所有であつた本件建物を、代金三〇万円で買受けたこと、被告が、右敷地である本件土地につき所有者である広田から賃借権の設定を受けていたこと、その主張のように移転登記がなされたことは認めるが、その余は否認する。
同第二項中原告主張のような訴の提起とこれに基く判決がなされたことは認めるが、その余は否認する。
同第三項、ないし同第五項はいずれも否認する。
第四抗弁
一 帰責事由の不存在
かりに原告主張の履行不能の事実が認められるとしても、それにつき被告には責に帰すべき事由がない。
二 担保責任についての抗弁
被告と広田間の賃貸借契約中には、被告が本件土地上の建物を賃貸人に無断で第三者に譲渡したときには敷地賃借権を喪失するとの特約が存在していたし、広田は、本件売買の時点において賃借権の譲渡につき承諾する意思を有していなかつたのであるから、被告の承諾取付義務は原始的に不能であつた。
(一) 原告の悪意
原告主張の被告の承諾取付義務は右のように原始的に不能であつたので、本件については、債務不履行責任は問題とはならず、むしろ他人の権利の売買に関する担保責任、用益的権利による制限がある場合の担保責任、瑕疵担保責任のいずれかの規定が適用さるべきところ、原告は、本件売買契約締結当時、被告が広田から右承諾を得られないことを知つていたのであるから、原告の、担保責任に基づく損害賠償請求は許されない。
(二) 除斥期間の満了
原告は、おそくとも上告棄却の判決を受けた昭和四〇年六月四日には、本件賃借権の譲渡につき広田の承諾がえられないこと、すなわち本件賃借権に瑕疵のある事実を知つた。
したがつて、右時点から一年以上経過した後になされた原告の担保責任に基べく請求は失当である。
第五抗弁に対する答弁
抗弁第一項は否認する。
抗弁第二項冒頭の事実は否認する。かりに被告主張の特約の事実が認められるとしても、被告が本件賃借権譲渡につき改めて承諾を得ることは可能であるから、被告の債務が原始的に不能であつたとはいえない。
抗弁第二項(一)の事実は否認する。原告は、本件売買契約締結の際、被告から賃借権譲渡につき広田の承諾を既に得てある旨告げられ、それを信じていた。
抗弁第二項(二)の事実は争う。
第六証拠関係<省略>
理由
一 建物と賃借権の売買
原告が昭和二三年八月頃被告との間で、当時同人の所有であつた本件建物を代金三〇万円で買受ける旨の売買契約を締結したこと、被告が右敷地である本件土地につきその所有者広田から建物所有の目的で賃借権の設定を受けていたことは当事者間に争いがない。
被告は本件土地についての賃借権が右売買契約の目的となつていたことを争うようであるが、一般に土地の賃借人がその借地上に所有する建物を第三者に売渡す場合には、反対の特約ないし事情のない限り、土地賃借権をも売買の対象としてこれを譲渡したものと見るのを相当とするところ、本件については、右特段の事情に関しなんらの主張、立証がないから本件土地の賃借権もまた建物に附随して売買の目的とされたものというべきである。
二 被告の承諾取付義務
つぎに、土地賃借権を有償で譲渡した場合には、特段の事情(反対の特約ないし事情)のない限り、譲渡人は自らの努力と出捐において賃貸人の承諾を取りつける義務があるものと解することは異論のないことであるところ、本件においては、右特段の事情はないので、被告において賃貸人広田の承諾を求める義務があつたものというべきである。
三 承諾が得られない場合の効果
ところで、右の被告の承諾取得義務が原始的に不能であつたか、それとも契約当初においてはその可能性があつたかは別として、とにかく、実際問題として、広田が本件賃借権譲渡につき承諾を拒絶したことは弁論の全趣旨から明らかである。
そこで、土地賃借権の売主が地主の承諾を得られなかつた場合の効果一般が問題となる。この点につき、原告訴訟代理人は、被告の努力次第では承諾が得られたのにその努力をしなかつたから、後発的な履行不能であるという。他方、被告訴訟代理人は本件の場合は、地主において当初から承諾の意思がなかつたから原始的不能であり、売主の担保責任が発生する場合であるという。
思うに、借地権譲渡は、地主の承諾がなくてもその当事者間においては有効であるとはいうものの、その承諾が得られなければ、地主に対する関係ではその譲渡を対抗できないこととなつて、契約の目的を達し得ない性質のものであり、この点においては、他人の権利を売買の目的とした場合(民法五六〇条)と酷似した関係にある。そして、他人の権利の売買の場合においては、それが原始的不能の場合であると後発的不能の場合であるとを問わず、民法五六一条、五六二条が適用される(もつとも、原始的不能の場合は、単に契約締結上の過失の問題であつて、民法五六一条以下の問題ではないとする考え方もあろうが、一般に契約締結上の過失の場合には、これに類似の場合である売主の担保責任の規定、ときには不法行為の法理によるべしとするので、結局は、民法五六一条、五六二条に戻ることになる。)
したがつて、当裁判所としては、建物およびその敷地の賃借権の売主が地主の承諾を得られなかつた場合には、売主買主間の関係は、それが原始的不能か後発的不能かを問うことなく、一律に民法五六一条、五六二条によつて解決すべきものと考える(ただし本件で問題となるのは、五六一条だけである)。この点につき、民法五六三条または民法五七〇条を適用すべしとする学説もあるが、これらの説は妥当でないと考える。
四 民法五六一条の類推適用
(一) 以上説示のように、本件については民法五六一条が適用される。したがつて、原告においてもし原被告間の売買契約を解除したならば、(もつとも、原告の主張によれば、建物については既に地主広田に代金三一七万円余で売渡しずみであるから、契約の一部解除として、賃借権売買の解除に限局される)、原告は被告に対し、売買代金三〇万円のうち、賃借権の売買代金に相当する部分についてこれが返還請求をできる筋合である。しかし、原告は、本訴では解除したことを主張しない。
かりに、本訴の提起に解除の意思表示が含まれるものと仮定し、かつ被告の訴求する金額のなかには予備的にこの金額も含まれるものと善解しても、右三〇万円のうち、賃借権の代金が占める額ないし割合については、確たる証拠がないので、賃借権の代金相当額の返還は問題とはならない。
(二) 損害賠償
つぎに損害賠償の点であるが、原告はこの点に関し、民法五六一条に基づく損害賠償の範囲は、売主に過失あるときは、履行利益にもおよぶと主張する。なるほど、成立に争いのない乙第二号証と弁論の全趣旨によれば、被告と地主広田との本件土地の賃貸借契約書中には、「建物その他附属物が第三者の所有に帰属したときは契約は当然消滅する」旨の特約があつたこと、被告が賃借権の譲渡につき事前に地主広田の承諾ないし了解を得た形跡のないことが認められるので、売主である被告には契約締結に過失があつたものというべきである。
しかし、当裁判所は売主に過失がある場合においても、損害賠償の範囲は信頼利益の範囲に限られ、履行利益にはおよばないものと解する。
けだし、一般論として、借地権附建物の売買において、売主が地主の承諾を得られないことを知つていたのにこれを買主に告知せず、あるいは、地主の承諾を得ることが実は困難であるのにこれを可能なものと過信して、その困難なことを買主に告知しなかつた場合(売主にいわゆる過失のある場合)は、実質的には、買主の契約締結の自由を侵害したことになるので、不法行為をもつて問擬することが理論上可能であり、右不法行為を理由とする損害賠償請求において被害者が賠償請求できる損害の範囲は、もし売主が前記事実を告知していたならば、買主が蒙らなかつたであろうところの損害、換言すれば、告知がなかつたため地主の承諾が得られるものと誤信したことと相当因果関係に立つ損害(この損害の内容は、結局買取り代金とつぎに述べる範囲の信頼利益の両者を含むことになる)の範囲に限局されるものと解するのが妥当であり、右の損害の賠償請求を認めず、地主の承諾があつたことを前提とし、承諾があれば得べかりし利益(履行利益)を認めることは因果関係の法則に背くので肯認できないものというべきである。
このこととの均衡上も、民法五六一条の類推適用を認めるのを相当とする借地権附建物売買の場合においても、売主に過失ある場合と過失のない場合とを区別することは妥当ではないと考える。
そして、いわゆる信頼利益とは、本件の場合でいえば、(イ)積極的損害として、買主が地主の承諾を得られないことを知つていたならば、出捐しなかつたであろう金員(調査費用、移転費用、契約費用)、その他の財産上の積極的損失のほか、(ロ)消極的損害として、承諾が得られるものと信じて売買契約をしたため、その結果として、買主が他の得べかりし利益を失つたことによる損害(ただしこの場合は民法四一六条二項の特別損害となろう)をも含むものと解する。
しかるに、原告が本件の売買による損害として主張するところは、地主の承諾が得られたことを前提とする履行利益にあたるものか、そうでないとしても信頼利益とは認められないものであるから、原告の善意、悪意を問うまでもなく、その賠償請求は理由がない。ちなみに、原告が「損害に関する予備的主張」のなかで主張する逸失利益三〇〇万円については、これを善解すれば、「本件建物は従前被告から賃借し、内科、小児科の医院を経営していたところ、地主の承諾が得られると信じて右建物を買つたばかりに、地主から建物の収去土地明渡を要求され、結局右建物の買取を請求せざるを得なくなり、その経営もできなくなつたため、医院経営による得べかりし利益を失つた」ということになるから、一応右の信頼利益にあたることになる。
しかしながら成立に争いのない甲第一ないし第三号証および甲第五号証と弁論の全趣旨によれば建物収去土地明渡を訴求された訴訟において、もし広田に対し買取請求権を行使すれば、本件建物は地主広田の所有に帰するものの、本件の被告との間に存続していた建物賃借権の賃貸人たる地位は借家法一条により当然地主広田が承継するものと解せられているところ、本件の原告は右訴訟のなかでは買取請求権を行使せず、右訴訟が原告敗訴に確定した直後地主広田に対し、買取請求権の行使を前提とする買取代金請求の別訴(当庁昭和四〇年(ワ)第五三七二号)を提起し、その別訴が控訴審に係属中、昭和四五年五月七日、原告が本件建物を広田に対し三七〇万余円で売渡し、同年一〇月七日限り、これを広田に明渡すことその他を和解条項とする裁判上の和解が成立したことが認められるので、原告は本来広田に対抗しうべかりし借家権を自己の判断によつてこれを対抗することを断念したものであるというべきである。右事情に徴すれば、病院の継続的経営による原告の得べかりし利益は、かりにそれが証拠上認められたとしても、いわば原告の選択によりこれを放棄したものとも言えるので、その賠償請求を認めることはできない。
五 むすび
以上の次第であるから、その余の争点につき判断するまでもなく、本訴はすべて理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 伊東秀郎 小林啓二 鎌田義勝)
(別紙) 目録一<省略>
目録二<省略>